変化する都市のあり方

都市とは何か。誤解を恐れずに言うと、私の中で都市という単語が指す対象が年々曖昧になってきている。都市デザインについても、デザインの対象となるものが自分の中で曖昧になってきているため、それ自体も何か雲を掴むような、というか実態のないものに対しての働きかけであるようにさえ感じている。今回の特集のテーマである「これからの都市・都市デザインを考える」というお題をいただいたとき、私はポジティブに捉えることができるだろうか、という不安を感じていた。それは私個人の都市への興味の薄れかもしれないが、一方で、私たちの時代における、とりわけ日本における、都市の捉え方が大きく変化したからではないかという気もしている。

記憶を辿れば、私が建築を学び始めた大学生だった約20年前、確かに建築と都市との関係はまだ活発に議論されていた。建築は都市という場を前提としてあると私は信じていたし、メディアを通じて知る建築は都市という場に根付き、そしてまた都市も建築によって作ることができるという雰囲気があったように記憶している。歴史を紐解けば、戦後の日本が国家を建て直すために国家の近代化を果たすべく、都市が建築の拡張のような位置付けとして語られ、多くの都市論も生まれた。高度経済成長期には、右肩上がりの経済を前提として、都市も拡張していくものとして生命体をモチーフとした都市論が世界の建築界においてもムーブメントとなった。バブル期になっても、消費社会を前提とした都市のあり方を記号的なもので捉えたり、イメージとして捉えたりしながら、新たな都市像が生まれた。バブル崩壊後は、右肩上がりであった日本の経済神話は崩壊し、それとともに都市そのものではなく、都市のオルタナティブとしての周辺や縮小する都市論などが展開された。私が建築を学び始めたのが2000年初頭であるが、当時は都市部の開発のあり方が議論されていたが同時に、郊外のあり方に注目が移り始めていたと記憶している。写真家のホンマタカシによる「東京郊外 TOKYO SUBURBIA」は私にとって日常生活における都市の捉え方をリアルに示していた。

 

都市・風景・環境

その頃までは、都市という場所を前提して建築が展開されていたという実感が、私にはあったと感じている。しかし、ここ10年くらいだろうか、建築の前提となる場が「都市」から「風景」へと移行してきた。それは都市がもはや経済的機能を中心に均質化し、場所固有の意味や手触りを失いつつあるからである。都市の一部としての建築であるよりも、風景の一部としての建築である方にリアリティと価値を感じるようになり、都市という場が建築にとって相対的に価値を失っていった。時期を同じくして、私にとっても都市がどういう場であるのか捉えるのが難しくなってき始めたように感じている。

では、なぜなのだろうか。世界の大都市、特に急成長するアジアの大都市では、経済効率が優先された結果としてその場所の環境や歴史などの文脈から切り離された新しいビルが林立し、どこも似たような場が増えていった。それにより、多くの人々が均質化した場所で、似たような物・似たような情報を得るという状況となった。かつて都市が表象してきた人・物・情報が集積する場であることに対して、私たちが以前ほど価値を見出せなくなってきているのかもしれない。グローバリゼーションは、私たちの生活に多くの果実をもたらしてくれたのは間違いないが、一方で、過剰な経済性の追求とグローバリゼーションの相互作用によってもたらされたマイナスの側面として、平板化した都市が世界中に次から次へと生み出してしまったとも言える。

そしてここ数年、私たちは気候変動を実感するようになった。折に触れ危機が叫ばれ、知識として知っていた気候変動が、毎年起こる異常気象、大雨・台風の甚大な被害という形でいよいよ実際に私たちが直面する事実となったのである。地球全体で行われている消費を中心とする際限のない経済活動は気候変動に拍車をかけている。都市は人が集まり、消費を加速させ、経済を回すための場としてのみ機能し、他の目的を見失ったかのようにも思える。その変容ぶりが、かつて私が抱いていた都市の姿を大きく揺さぶった。そんな場所で私たちは、ほんの少しの不便さと地球環境を天秤にかけながらコンビニエンスストアで買い物袋を断り、一方、膨大なエネルギーを消費しながら再開発されたオフィスや商業施設に集い新たな消費を生み出すというチグハグな生活を送っている。

 

都市の価値とは

都市がそうした消費に傾倒した場に変わっていくにつれ、建築が拠り所とする前提が都市から風景へと変化していくのは、何か建築が自ら生きながらえるための自然な成り行きとして受け取ることもできる。私にとっても現在私たちが暮らす都市が、かつて都市と認識していた場所とは大きく違うものになってきている。今回、「これからの都市・都市デザインを考える」というテーマをいただいた際に感じた、自分の中に何も答えがないかもしれないと感じた違和感というか、空虚な感覚は自分がこれまで都市に対して持っていたイメージと実際に体感しているものの差が生み出したものであるのかもしれない。私たちの時代において人・物・情報の集中した場の状況に以前のような価値を見出せなくなったとすると、都市の何に価値を見出すのであろうか。情報技術の進歩で物や情報は簡単に手に入るようになり、都市にそれらを求める必要はなくなった。一方で、その場でしか得られない体験は年々価値を増している。例えば、絶景のような場所に実際に行って体感し、SNSで共有することも今となっては日常である。また、コロナの時にステイホーム、リモートワークを経験して、離れながらにコミュニケーションを取る方法が確立されたのと、その便利さを実感した一方で、対面で人と会うことでしか得られない、情報とコミュニケーションの深さが存在するということも知ることとなった。これまで都市が担っていた役割のうち、その場に紐づいていたものの価値が高まった。

そうした時の都市とは身体的にどんな場として感じられるのかという、根源的な場所性を問われ始めているのかもしれない。どういう場所で、どういう気候で、どういう歴史や文脈があり、どういう人がいるのか、など。人によってその捉え方は異なり、多様になっていくであろうが、自分にとって肌触り感のある場に、日常生活の拠り所を求め始めているように感じられる。それは、建築にとっても同じだと感じている。私たち建築家は都市という場から風景にその拠り所を求めるようになっていた。しかし、消費的な再開発や気候変動や自然災害によって、風景ももはや移り変わりが激しく移ろいやすいものに変わりつつある。それとは対照的に変わりようのないもの、例えば、変化の極めて遅い地形や、変えようのない歴史のようなものを拠り所として建築を作らざるを得なくなるのかもしれないと感じている。

 

土地と結びつく建築

昨今そのようなことを考えながら、自分の実践でも試みていることをいくつか紹介してみたい。到底、都市と呼べるような規模のものではない小さな試みであるが、今の時代における建築のあり方を模索したものである。一つ目は、2022年に高松市の屋島で関わらせていただいた2つのプロジェクト(高松市屋島山上交流拠点施設 / やしまーる、れいがん茶屋)である。これらは建築と地形という全く異なる時間軸を持つものを関連させ、建築を地形の一部のように扱えないだろうかという試みを行ったものである。

やしまーるは、土地の持つ地形的特徴と国立公園として保護された周辺の環境を何よりもの建築の大前提として、建築を機能性から導き出すアプローチをするのではなく、その場所のポテンシャル自体を見出すことを主題とした建築のあり方を模索した。れいがん茶屋は、すでに存在していた大正時代から増改築を繰り返されてきた建物を、単に建物として捉えるのではなく土地の一部であると捉えることで、建物自体もその土地で紡ぎ上げられた時間の結晶として捉え、その歴史性に接続できる建築のあり方を模索した。

これらのプロジェクトを通して得た教訓は、地形という物理的なものとの深い関連性、そして歴史というメタ的なものとの深い関連性、それらを建築に接続し建築と場所との関連性を多層化することでより価値を高めることができるのではないかということであった。そうすることで、建築自体のユニークさをもたらすことと同時に、その場所自体の捉え方を変容させることができるという可能性も感じた。それは、何かこれまでになかった手触り感のある場所作り、居場所づくりができるかもしれないという予感させてくれるものであった。

 

記憶と結びつく建築

もう一つの実践として、2025年の大阪・関西万博のテーマ館の一つとして設計に携わった「Dialogue Theater -Naomi Kawase Pavilion-」である。上記のプロジェクトは、土地自体とどのように接続するかをメインとした試みであったが、本プロジェクトは、建築自体が持つ記憶についてである。私たちが日常生活で大事にしているものの中に記憶がある。現代の建築において、なぜ記憶を建築の主題としてこなかったのだろう。ほとんど無自覚であったが、現代は説明しやすく、効率のよいものに価値があると考えてきている。その中でこぼれ落ちてくる大切なものがあるのではないかと常々思っていた。記憶もその一つであった。「記憶の」建築という何か曖昧であるが、建築の価値の本質につながっているであろう記憶と建築のあり方について掘り下げてみたいと考えた。

建築に刻まれている、はっきりと形には現れない、でも確実に存在している気配のようなものをどう掬い上げて、設計の対象として扱うかが目標であった。解体を待っていた廃校を用いて、万博のパビリオンとして生まれ変わらせる。そして、その空間に刻まれた記憶を世界中の人々と共有し、新しい記憶を作っていくという試みであった。私たちが日常から慣れているような決して説明しやすいものではなく、何か特定の要素によってというよりは、その場にある小さい傷跡のようなものの総体によって作られている雰囲気が記憶を創発しているようだった。80~90年前の校舎には長い間その場所で過ごした子供たちの記憶が、私たち自身の記憶と結びつき、初めて訪れるはずの場所であるにも関わらず、懐かしさすら感じた。それは日本人だけではなく外国人であっても、さらには小学生のような子供であってもまるで前から知っている場所にいるかのような振る舞いであった。会期後には同じ形では存在しない建築ではあるが、その場に確かに存在した記憶というものが、一つの建築に閉じず、共同体や都市的なスケールの場所にも存在し得るのではないかという希望も感じられた。

 

都市の再定義

改めて、私たちの時代における都市とは何だろう。都市というワードから想起されるイメージを私たちは再定義するタイミングに生きているのかもしれない。これまでのように人・物・情報の密度を高めることで作り出すための場ではなく、場所・時間・記憶との関連性や関わり方の濃度のようなものを求める、手触り感のある場所や環境そのものとの関わり方に立ち返る必要があるように思う。これまでコントロールできるものとして自分たちの頭で考えたものだけを集め、都市を作っていた。いまのやり方では様々な限界が露呈する中、私たちはコントロールできない自然も許容していかなくてはいけないのだろう。しかし、その先には人工と自然がせめぎ合うのではなく、お互いに滲み合うような場が生まれる。そのような場を私たちは「都市」と呼ぶことになるのかもしれない。そこは場所・時間・記憶のように一人の人間の時間軸を超越するものとつながること、それは地球という場で生きている実感を得られる場であってほしいと思う。

 

(UDC 「都市+デザイン44号」 2025年12月掲載)