時代を越える大空間
時代を越えた使い続けられている大空間とはどんなものがあるだろうか。クラウド上で世界共通認識とされている大空間建築として現存する実例を調べてみると、古代はパルテノン、中世はハギア・ソフィア大聖堂、ルネサンスはサン・ピエトロ大聖堂、バロックはヴェルサイユ宮殿、近代はクリスタル・パレスなどなど。日本国内の事例でも、東大寺大仏殿、平等院鳳凰堂、二条城などAIによって列挙されるものは数え始めたらキリがない。どれもがその時代と地域において時代を象徴するような重要な意味を持ち、時代の技術と美意識が建築として結実したものであるということがわかる。
地球における人類
科学技術の発展が産業革命がもたらし、工業化・資本主義化によってさらに技術は発展したのは周知の事実であるが、その中で私たち人類は自然界をより客観的に捉え、自分たちが自然界から独立した存在であるかのような振る舞いをしてきた。元々技術はローカルのものだったが、グローバリゼーションによってあっという間に世界中に共有される時代となり、技術は世界言語となった。そして見渡せば、都市も生活スタイルも平板化された世界になってしまった。
もはや人類の共通認識として、大量消費社会がもたらす埋蔵資源の枯渇、気候変動は地球という場所が有限の存在であること、そして私たち人類という存在は地球に対して無視できる存在ではなくなってしまっているという事実が明らかになりつつある。ではこのような時代において、時代を象徴するような大空間とはどういったものになるだろうか。地球という場所において、多くの人たちと共に共有すべき場とは一体どういうものか。それは、地球上において、人類の小ささを教え、多くの人々と一緒に小さい存在であることの豊かさを分かち合える空間なのかもしれない。
縁起
仏教用語に縁起という興味深い概念がある。全ての現象が因と縁によって生じる、すなわち、物事がお互いに依存し合い、独立するものはないという世界の認識を示すものである。古来から伝わる縁起巻物と呼ばれる名高い絵巻として信貴山縁起というものがある。平安時代に作られた日本最古のもので、当時の人々の生活や信仰の様子、出来事の因縁が実に35mに渡って記されている。個々の出来事が生き生きとした表現で描写されていていることもさることながら、全体として見たときに現れる、全ては繋がっている、という時間と空間に通底する世界認識が大変美しいものである。
技術と建築
もし私たちの時代の産物として何か後世に伝わるような大空間ができるとするならば、自然界を切り取ってコントロールするのではなく、縁起巻物のような世界の認識によって作られる建築なのかもしれない。その時、技術の使われ方は今日とは全く違ったものに変わるのだろう。私たちは技術は環境に溶け出し、世界と一体化するようなあり方に価値を見出せるようになるかもしれない。その時、建築の概念は拡張され、建物という境界を超え、ある一定の広がりを持つ系として場を捉えることを建築とする必要がある。
そのように妄想していた時に、伊勢神宮に行く機会があった。内宮の神宮林の巨木とそれを包み込む五十鈴川によって作られた大空間には毎度のように圧倒されつつ、新鮮な気づきがあったのは、式年遷宮の神事が行われる外宮の御正殿と対をなす古殿地であった。その二つは古い・新しいという対の概念ではなく、1300年という時間のつながりが現れた場であると感じられ、それらは一つの建築のようにも見えた。自然界を巻き込んだ古代の人々のさまざまな技術が結実した場であったし、一人の人間の生命のスケールを超越した場に立ち会っている驚きと喜びに満ちた場であったように思う。そして、その場にいた多くの他人にいまという時代の絵巻物に現れる同志であるような親近感を感じた。
(日本建築学会 「建築雑誌」 2024年10月掲載)