代替不可能な価値

テクノロジーの発展は建築の創作におけるさまざまな面で大きな進歩をもたらした.その都度,建築のあり方が更新されてきたのは,歴史を見ても疑いようもない事実であり,私たちの時代のそれはコンピュータテクノロジーの発展であると言われて久しい.その恩恵は,建築の設計・施工における作業面に大きな役割を果たしていることは言わずもがなである.加えて,圧倒的な計算処理能力によって建築を構想する私たち建築家の思考にも大きな変化をもたらし続けている.

他方,その恩恵の別の側面に焦点を当てると,デジタルデータとなった情報は,共有が容易に行われるようになり,その恩恵によってつくられる建築は場所を問わず画一化し始めている.つまり,世界中で共有されたリソースと道具を使って構想された建築は,ある類似性を持つ傾向にあり,コモディティ化した建築群が加速度的に生み出されている.それが現代の現れである.

一方で,建築の前提条件となる土地などの固有性との関わりは相対的に希薄になっている.データ化不可能な土地の固有性と建築の関係をこれまで以上に深めることは,建築が代替可能なテクノロジーオリエンテッドな産物としてつくられる価値以上に,重要な価値をその場に刻むことに繋がる.現時点ではいくらデータ形式を変換しても場を読み取り,場を知覚することはできない.それは私たち人間の感覚というリーダーによってのみ許されている特権的価値だからである.「共有」がキーワードとなる時代において,共有できないことが価値になり得るならば,固有の場そのものとも言える建築の前には,未開拓で,可能性に満ちた地平が広がっているのではないか.ここでは,建築の土地との関わり方を通して生み出される価値に着目し,今一度,建築のあり方を見返してみて,原初的なところまで立ち返り,現代の視点によって再考することで私たちが生きる時代における建築の可能性を探究してみたい.

 

地勢と風景と建築

「地勢」とは少し引いた目線で土地を捉えた概況を指す.人工的な改変を含めた地形に,自然環境やインフラなどを重ね合わせた総体としての状態を言う.つまり地勢には地形,植生,集落,交通などが含まれ,少し狭域な範囲では起伏のような局所的な地形や,植栽,建築,動線といったものが構成要素となる.さまざまなスケールでそういった要素が地形を前提として組み合わされたものが,場固有の特徴となる.私たちは大昔から地勢を感じ取り,解釈することで,その場との関わり方を見出して生きてきた.

地勢というさまざまな要素の総体に対して,風景(あるいはランドスケープ)というのは,ある視点から見た要素の総体である.地勢は場そのものであるのに対して,風景は視点と対象物との距離が必然的に含まれている.だから風景は常に客観的だ.私たちと風景との関係について,あるアーティストの友人が言っていたことがとても印象的であった.すなわち,「風景は見ることはできても,その中に入れない」,と.その意を解釈するとこういうことだろう.今見ている風景の中に入りたいと思って進んでも,行き着いた先に現れるものは見ていた風景の中に含まれていたある物体であり,見ていた風景とはどこまで行っても関われない.そしてその場所にはまた別の風景が広がっている.

ここで地勢と風景の時間軸について考えてみたい.地勢は地形や自然環境という広域のスケールをベースとしており,そもそもそれらは地球規模の時間軸を持った変化であり,私たち人間にとっては超越的なスケールである.そのため,変化の速さはきわめて緩やかだ.特に地形の変化は,数万年というオーダーで変化し,今の姿をしている.今もなお変化し続けているが,私たちにとってはほとんど止まっているかのように微小であるため,生涯を通しても認識できないほどである.一方で,風景はその主な構成要素として建築,動物や植物など,私たちの生活に身近なもので構成され,社会情勢や経済状況など,時代の移り変わりに応じてその姿を変える.特に私たち人間の活動が多くを占める都市部ではそれが顕著に現れ,十年もすれば私たちの生活スタイルや価値観も大きく変化する.そうした比較的身近な変化も特別気に留めず,忘れることが多い.たとえば,10年,20年前の写真や映像を見返した時,街並みが変わっていると感じるだけでなく,身の回りのもののデザインにレトロと感じることも多いだろう.さらに50年前,日本中が高度経済成長に沸いていた時代,100年前の日本人の半数以上が第一次産業に従事していた時代の風景は,同じ場所とさえ感じられないくらいに異なるものだ.そう考えると, 地勢,風景どちらも変わり続けるものだが,それらの変化の速度を相対的に捉えると,風景は大変移ろいやすいし,忘れやすい.

建築が場の動かし難いものと強く結び付くことができるならば,土地固有な価値となる.それは写真や動画では共有できない,そこでしか享受できない価値である.その結び付きをつくるためには,建築は原初的なところまで立ち返って土地と関わる必要がある.つまり,私たちはその土地を改めて解釈し直し,土地と建築の直接的,主体的な関係性を見直す必要があるのではないか.そういう意味で,建築と地勢の関わりを模索することは,今という時代がつくり出す建築の可能性を追求することでもある.

 

発見を許容し続ける共有

ここで,建築が地勢をつくり得るかについて考えてみたい.今日,建築の前提条件として求められる用途や機能,効率といったものは,先述の通り,移ろいやすく,時代の価値観を代弁するものだ.変化の少ない地勢に強く結び付く建築を模索する時,変化の速度が速いものを前提条件としないほうがよいだろう.すなわち,建築から時代性を剥がし,建築を物理的なミクロな地形にまで還元することで,その場の地形と同じ観点で捉えられ,地勢の一部となることができるのではないか.もし建築が地形へ介入できれば,その場の特徴が強調させられたり,和らげられたり,変質させられたりと,さまざまな関係性を生み出すことができる.建築の原初的あり方とは,逆説的ではあるが,まずそこに場があり,そこに時代ごとの価値観や解釈を加え,それに応じて用途や機能を見出していくというものではないか.そうした建築は時代ごとに発見を許容し続けられるのではないだろうか.そうすることで,地勢や建築は風景という時代性を身に纏うことができる.

地勢と接続された建築は,地勢の一部でとして共有されることとなる.間接的にではあるが,不特定多数の人びと,場合によっては動物,植物との共有も可能かもしれない.その時,建築はこれまでのような所有・共有を超えた公共性を持つことができるようになる.

一般的に,同時代において物事が不特定多数に対して開かれ共有されることを公共性というが,建築が時間に対して開かれることによって,何世代にも渡って共有され,公共財産のように扱われるだろう.たとえば,山という地勢は,ある時代は信仰を深める場として,ある時代は敵の動向を見張る物見台として,またある時代にはツーリズムやレジャーを楽しむ場としてなど,同じ山であるにもかかわらず,新たな解釈を加えながら,共有されている.環境時代と言われる現代において,そうした時間の中の公共性は,際限なく消費を続けることに限界を迎えているがゆえに,これまで以上に重要性を増す.

 

地形を顕在化させる

建築を地形の一部と捉えて構想する時,地形と建築の関係性はどうなるだろうか.まずは建築を地形化する,地形を建築化するという双方のアプローチが考えられる.前者の例はノルウェーのスンダルスエーラのインナーダーレン谷にある集落で,美しい草原の一部がたまたま建築になったかのような緑化屋根である.後者にはフランス南部ドルドーニュ地方のレセジーという小さな村に中世から使われ続けている,岩場が持つ空間性をそのまま建築の一部とした岩棚住居である.どちらもいわゆる建築家なしの建築として存在してきたものである.さらに,地形をそのまま建築と解釈するというアプローチも考えられ,自然につくられた洞窟のような穴も建築空間と解釈することもできる.どの事例も地形の個性や力強さが建築の原初を誘発しているという点では,アプローチの差異はあまり問題ではないのかもしれない.

ここで,2016年から手掛けることとなった香川県高松市にある屋島山上におけるふたつのプロジェクトを通して試みた,地形と建築を接続する実践を紹介したい.屋島はもともとその名の通り島であったが,エリア全体がメサ地形(安山岩溶岩が侵食されてできた台地)という特徴を持ち,歴史的にも記録があるだけで古墳時代からその地形ゆえに宗教や国防の要所であった.1934年に屋島全体が史跡天然記念物として指定されている.また1934年に瀬戸内海に浮かぶ島々や屋島や鷲羽山を含めたエリアが,日本初の国立公園「瀬戸内海国立公園」として指定されている.1970年代には風光明媚な観光地として年間250万人もの観光客が訪れていた.昨今は社会情勢や経済状況の変化から,年間40万人ほどとなり,観光地から新たなあり方を模索し,変わりつつある場所である.

少し前振りが長くなったが,屋島山上交流拠点施設では建築を地形のようにつくろうと試みた.敷地がある屋島山上の西端は,瀬戸内海と高松市内を望む展望台に隣接し,南北には国立公園として保護された森が広がり,東側には水族館や歴史のある屋島寺がある.この敷地にはかつて廃墟となった旅館があり,約3mほどのレベル差があった.屋島は史跡天然記念物であるがゆえ,特に山上エリアの新築は厳しく制限されており,原則的には現存する建築を活かすことが前提であるが,今回の新築は屋島の位置付けの変革を進めるための特例的に認められた.

屋島山上が持つ魅力を現代の視点によって顕在化させ,ポテンシャルを最大化することが求められたプロジェクトであった.そのため必要とされた機能は,一般的な観光施設で求められるものとは違い,どちらかというとその目的を達成するために設定されていたように感じられた.場が発する声に耳を澄ませ,私たちに届くメッセージを聞き分ける.西側に広がる壮大な風景や,森や建築やこの先ほとんど変わることがないであろう瀬戸内海の地勢を読み込む.そして,それに呼応するように敷地周辺に複数の広場をつくるように建築を蛇行させた.最大で6.6mのレベル差を持つ緩やかな起伏のある大きな回廊状の建築と広場の集合体がひとつの場となる建築とした.隣接する広場と連続していたり,地面に触りそうなくらい低い屋根によって周辺から距離を取っていたり,森の木々の中に埋もれていたり,床が地面から持ち上げられて見晴らしが確保されていたり,場所の特徴を強く炙り出すように使い方が設定されていく.なおかつそれらが連続帯となる.

地形と滑らかな連続性を持つには,これまで以上に技術的な裏付けが必要となる.すなわち,建築が変数的な形に姿を変えるため,3次元的な形の検証,数万パーツあるいはそれ以上にも及ぶ違った形の部材のデータ化にはコンピュータの計算能力を必要とする.しかし今日の私たちはプログラムで難なく処理できる.それらが実際に製作される時にも同様で,データ化された1点1点違う形のパーツを切り出す工程は,機械にとっては大きな問題ではない.しかし,機械化されていない建築のプロセスではそうはいかない.機械化・自動化できない現場建て方のようなプロセスでは,人間がまるで機械になったかのような正確さでCAD上で示された通りに組み立てる必要がある.余談であるが,今回,こうした施工に至るまでには実に多くの困難があった.経験したことのない方法に対する恐怖のようなものかもしれないが,テクノロジーの推進力に無意識的にブレーキをかけてしまうのは,私たち人間のようだ.

丘状の地面を建築のようにつくろうと試みたのが,れんがん茶屋である.敷地は先述の屋島山上交流拠点施設の隣に位置する.同じくかつて観光客が多く訪れた頃は敷地内に旅館があったが,時代の移り変わりによって需要が減り,ひしめき合うように建てられた建築が徐々に姿を消していった.改修の依頼を受けた建築も,もとは旅館の一部で,プロジェクト開始時には休憩のための物販店と茶屋として残っていた.明治,大正,昭和とに増改築を繰り返された時間の集積を体現したかのような建築で,まるで接木されながらその場に根付いた大木のような姿であった.長い時間そこに立ち続けたからだろうか,建築というよりもその場の一部であるような存在感を醸し出していた.そこで,既存の建築の改変はできるだけ小さくし,既存の建築にとって直接的ではない形でその場に介入する方法を探った結果,既存の建築を含む丘状の地面を敷地内に広げてつくることとした.このような既存の建築に間接的に関わることは,新築が制限され,既存建築の活用が勧められている政治的な背景もあるが,一方で,デザイン的によいか悪いかを超越した時間の積み重ねに対する無条件のリスペクトがそのようにさせたのかもしれない.新たな丘状の地面により,既存建築内外のさまざまな場所が展望台のような高台になった.起伏を持つ場所ごとの特徴や周辺の状況も考慮し,カフェ,ショップ,テイクアウト販売所という機能が配置された.設計当初から,ビジネスの形態を時代に合わせたいという要望もあったので,機能は,ある意味,地勢から決定されたと言ってもいい.この丘には隣地の掘削工事で出た排出土が用いられ,かつて地形の一部だったものが新たに別の地形に生まれ変わっている.一連の施工プロセスは,既存の建築から仕上げを取り外し,起伏のある床面をつくるという非常にシンプルなものであり,先例のようなコンピュータの計算能力を借りずとも十分つくることができる.しかし,振り返ってみると,技術的な進歩によって建築を地形のように扱う経験があったからこそ可能となった思考のように思う.新しいテクノロジーがもたらす感受性の変化が,そうしたプロセスをもたらしたとすれば,両事例における建築の地形に対するアプローチはどちらも地続きのものである.

 

時代性から自由であること

違った成り立ちでつくられたふたつの場で,その成り立ちを超えた両者の一体性を体感できる場することができれば,個々の建築が持つ敷地という境界を意識することなく,広がりを持つ地勢への介入ができたと言ってよいのではないだろうか.その時,建築が地形の一部としてその場に存在し,ある環境の一部となり,地勢に接続できたということができる.地勢に接続できているのであれば,もはや手段が新築であれ改修であれ取るに足りない.先に建築的操作による場をつくり,改めてその場の使い方を決めていくのである.それが地勢を醸成するということなのかもしれない.

ところで,都会に棲むネズミの生態をご存知だろうか.日本でも外国でも共通性があるようだが,都会のネズミは,建物やその周辺部に生息し,ビルの天井裏といった比較的乾燥した高所で,10cm程度の隙間を好んでいるそうだ.だから,渋谷やニューヨークといった建物で埋め尽くされた都会は,ネズミにとっては格好の生息地となっている.渋谷では以前より深夜から明け方にかけて,人間と入れ替わるかのように街に現れ,レストランやコンビニの残飯などを食料としながら,街を棲み家にしてきた.コロナ禍が始まったばかりの2020年ごろ,私たち人間がステイホームで街から姿を消した時,ネズミたちは渋谷の街をわがもの顔で,白昼堂々と街を跋扈していたという.小道や排水口をまるで運動場のごとく走り回ったり,電線やガス管を飛び回り,渋谷の街中を躍動する姿がよく見られたそうだ.

ここで示唆的なのは,ネズミの図々しさもさることながら,ビルの隙間や天井裏など人間のつくった街を地勢として捉え,ネズミたちの解釈によって街を棲み家としているところだ.さらにコロナ禍という情勢の変化に伴い,解釈し直している点である.ひと言で言うと野生であり,生き延びるための手段かもしれないが,これから訪れる環境の変化を生き抜くためには私たち人間にとっても見習うべき野生性なのかもしれない.

建築を地形の一部として捉えるというアプローチによって,建築は場になり,時代性から自由になれる可能性を検証してみたのだが,自由になることはその時代性と距離を置くということではない.その都度の解釈によって時代性との関わりを問い直すことで,各時代と密に関わりを持つことができることである.地形という糸口からの仮説と実験ではあったが,地形の代わりに文化や歴史も土地固有の別の側面として捉え,建築がそれらに接続することができるならば,建築は違ったアプローチで時間を超えた公共性を持ち,唯一無二の価値を獲得できるのではないだろうか.思えば,建築を体験する手段は古くは絵画,写真,動画へと進歩してきた.そして,昨今ではメタバースというデジタル空間へと拡張され始めている.その先にはデジタル空間すら必要なくなるかもしれないが,テクノロジーが進歩すればするほど私たちの感覚や感受性も拡張されていくに違いない.そうした拡張された身体で捉えられるリアルな場とはどういったものになるのだろう.その時,私たちは建築をどのようなものとして捉えるようになるのだろう.建築はますます原初的になっていくのだろうか,あるいはこれまで建築と捉えていなかったものまで建築になるのだろうか.ようやく「リモート」も板についてきた私たちであるが,これまで知り得なかった感覚や感受性で,さらなる知性と建築の可能性を拡張していけるのかもしれないと空想すると楽しみで仕方がない.

 

(新建築 2022年9月号 巻頭論文掲載)